不登校児童の成長と学校の在り方

 とある島で、不登校児童のためのフリースクールのボランティアをしていたことがある。
もう十年も前の話であるから、昨今とは少し事情が違うかもしれない。

 

 実は、私自身も学校を中退した経験があり、不登校も経験している。当時は、なぜ学校に縛られなければならないのか、時間を拘束されねばならないのか、もっと自由になりたい、そんな思いで満たされていた。次第に成績も落ち、授業にも出なくなり、結局中退してしまった私は、どういうわけか、その後、その島で不登校児童をフォローするフリースクールのボランティアをすることになった。
 そのフリースクールの趣旨はこうだ。豊かな自然の中で、のびのびと学ぼう、と。実際島の自然は豊かだった。野イチゴが宿舎の庭になっていたり、坂を下れば磯があり、海で遊ぶこともできた。そんな中で、私が接した一組目の親子は、ごく普通の、おとなしい女の子とそのお母さんだった。小学生である彼女は、目立っていじめなどに遭うこともなく、不登校になったという。ただお母さんが、どうしていいかわからないと泣き崩れ、悲嘆に暮れていた。このように、不登校をしている当人よりも、親御さんの方がダメージが大きい場合もある。この親子は数日島に滞在して、何か解決策を見出したのだろうか、私にはわからないが、帰って行った。アドバイスをするよりも、聞き役に徹したケースだった。
 次に出会ったのは、中学生の女の子だった。この子は親同伴ではなく、一人で来ていた。元気のある活発な子で、実際よく喋った。しかし不登校児童だから、というわけではないかもしれないが、どこか大人びた、影のある少女だった。この子とは友達のように接した。一ヶ月くらい島に滞在していただろうか、その間、島の牧場を散歩したり、島のお祭りに出たりと島の生活を楽しんでいたと思う。そうしているうちに、私には、もともと元気で活発な彼女がなぜ不登校になったのかがうっすらわかった気がした。彼女は、周りの子たちに比べ大人すぎるのだと。ナチュラルに気遣いの効いたことが言え、ジョークもわかる、大人と対等に友達になれるようなそんな彼女には、一種稚拙な中学校は合わなかったのだと。

 

 協調性が大事だと大人たちは言う。社会生活が営めなければ死活にかかわると皆が知っている。しかし私の接した子供たちは、協調性がないのでもなく、社会生活ができないのでもない、ただ、ライフステージのタイミングのようなものが合わなかっただけなのだと。
不登校児童にもいろいろあるであろうが、私の接した少しばかりのケースでは、そんな印象が強く持たれたのだ。児童の成長の度合いを一概に定めるのではなく、様々な成長のシーンにいる児童達を受け入れることのできる多様化した学校が現れることに期待したい。